特にアイメイクです。私はまぶたが一重まぶたなのでいつも悩みながら行っています。
大体雑誌に載っているアイメイク講座は二重まぶたの方がモデルで、あまりあてにならないのです。
何で一重まぶたで生まれちゃったんだろうと思ってしまいますが、そう考えてもしょうがないですよね。
自分のまぶたでも素敵に見えるようなメイク法を日々研究しています。
アイメイクに関して悩んでいるのはアイラインをどう引くかということです。二重まぶたの人に比べて一重の場合、アイラインを書いてもまぶたで隠れやすいのでどう書けばいいのか難しいところです。今現在はよくわからないので引いていません。なかなか良い方法が見つからないので、今は研究中です。
それから、アイメイクと言えばアイシャドウも大事ですよね。普段はブラウンのものを使っているのですが、最近はピンクやブルー系にも挑戦しています。季節や気分によって色を変えていてなかなか面白いです。一重まぶたがすっきり見えるメイクの仕方をネットで見つけたので、最近はそちらを試しています。
一人一人目の形やまぶたの感じが違うので、必ずしも上手くいくわけでは無いのですが、ネットの情報は大変参考になるので助かります。
これからも色々研究して、自分に似合うメイクを見つけていきたいです。
]]>毎年5月頃まではいつもカープは首位にいるから別に驚かない。
日曜日に投げた前田健太が、肘の痛みを訴えて、途中5回までで降板した。
いつもカープは、故障者やケガ人が途中で結構出て、半分くらいメンバーが変わる。
だから前田健太の腕も今回は心配だ。
大竹も巨人に移籍してしまい、仲良しだった前ケンには、ちょっと辛いところ。
やっぱり、あんまりにも松田オーナーが出しゃばりすぎて、いい選手がどんどんいなくなる、というのが、いつものことだ。
カープは、どこの会社にも属していないから、広島東洋カープというのに、松田オーナーはみんなをすぐに護国神社(真言)に連れて行く。
私はあれがとても嫌いだ。
地元ではニュースで放送があるからわかる。
そのため、いつもいいところまでは行くのだが、何かつまらないハプニングがあって、優勝にならない。
ケガ人も多くて、助っ人外人などはすぐにいなくなってしまう。まー、いつものことだ。
… マスコットのスライリーも、私が思うに、外国の球団のマスコットのモロにパクリだ。
しかも、それに飽きたらず、スライリーそっくりのピンクの彼女まで作るに至っては、松田オーナーは、著作物に関して何も考えてないのか?と疑問にさえ思う。
筆頭株主ではあるが、いけないこともしていると思う。
特定の神社に無理やり行かせるのはやめて欲しい。
行かないとクビになるのか?何かあんまり、オーナーにでしゃばってほしくない。
]]>そう言えば、婚活サイトにアップしてしていた時の写真は、何十枚と練習した物です。
顔をつくりながら、目を見開いたり、やや上からカメラで撮ってみたりと、涙ぐましい努力です。
その中で、自分以上の自分を探してアップしていたのです。
確かに、自分ではないようなかわいらしさでした。
最近のデジカメは、ビューティーという機能までついて、より、きめ細やかな肌に修正できます。
これで、嘘大げさ、紛らわしい自分が作れたりするのですから恐ろしいです。
しかし、恐ろしいと言えば、お化粧だって化けるためのものですから、変わったものではありません。
私は、目元しだいで、随分印象がかわるようで、かわいいと思える画像は、目元が優しいです。
マスクしていると、普通は誰だかわかりにくいです。
しかし、目に特徴があると、誰だか見当がつくようで、なるほど、と思います。
私の親は、人懐っこい笑顔と目が印象的だったと言われます。
それをきいて思い出します。
クラスメイトが、あなたって、笑ったら、目がなくなるからね、それが特徴ねと言ったのです。
目がなくなるというのは、笑ったら、もともと細い目がもっと細くなると言うことです。
良く見ています。
]]>ところが1980年代に状況は一辺します。この国からヨーロッパを代表するプレーヤーとしてイタリア、スペインで活躍したミカエル・ラウドルップの登場です。
ラウドルップはイタリアへ移籍、程なくして当時プラティニが所属しヨーロッパ最強と言われたユベントスで当時20歳ながら攻撃の中心を担います。そしてトヨタカップでは決勝ゴールも決めています。
ラウドルップが、イタリアの次に向かった先はスペインのバルセロナ、ここでロマーリオ、ストイチコフらと共にヨハン・クライフ率いたチームの中心として活躍、スペインリーグ4連覇の原動力として活躍しました。
バルセロナで充実した時間を過ごしたラウドルップはここで何と禁断の移籍と言われていたレアル・マドリッドへ移籍、ここでも2年間攻撃の中心として活躍しました。
代表クラスでは1986年のメキシコワールドカップ、ここでエルケアと共に攻撃を牽引し初出場ながら決勝トーナメント進出を、達成しました。 一時代表からは遠ざかりましたが長い間デンマーク代表を牽引する存在として活躍しました。
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